絞首刑のパラドクス

絞首刑のパラドクス

絞首刑は抜き打ちで予測できる日には執行しないという前提だとして、執行は来週のどっかで抜き打ちで実行するという場合、もし金曜日に執行されるのであれば、木曜日になった時点で金曜日と予測できるので金曜日はないと予測できてしまう。

仮に木曜日と仮定すると水曜日の夜の時点で、木か金と予測できてしまう。

そうなると、木と金はないと推測できる。

木と金がないという結論がでるので、同様の理詰めで、月・火・水も「抜き打ちは不可能」という結論になってしまう。

しかし、刑は執行される。

このパラドクスでは、将来のできごとについての予測は、ひとりの者には正しい予測とわかっても他の者には事後でないと正しいことがわからないということを認識することが大事であると説いている。

みんなは理詰めで考えていることなんてないよって事だ。

仮説・仮説の立証、マーケティングなど理論に縛られ誤った理解にピンポイントで固執すると良くないって事だ。

その点、アメリカの方ではシステム開発のテストプロセスで「GAME DAY」というイベントを実施するらしい。

攻撃側と守備側に別れシステムの脆弱性をあぶり出すイベントだ。

攻撃されクラッシュした箇所を改善するためだけのイベントではない。
もちろん改善も行うが、クラッシュした場合や侵入や予期せぬ事態に備えた対応マニュアルを整備するのが最大の目的であるらしい。攻撃は100%かわせないという前提を見過ごしていない。

性悪説で物事を進める人種と性善説思考が多い日本人との感覚の大きな違いなのか。。やはり、考え方やそういう開発文化など先進的で素晴らしいと感じた。

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