ディスカッション・ディベート・議論

ディスカッション・ディベート・議論

ディスカッション・ディベート・議論

似たようで異なる。議論=ディスカッションでもディベートでもない。合致する日本語がないのだと思う。

議論の定義じゃ実はよく私はわからない・・・。思うに結論をださない言い合いなのだろうか?
プロセスかな?

ま、いいや。

ディスカッションとディベートは大きく違う。

ディベート

ディベートは意見の対立が前提でそして勝敗を決めるのが前提だ。
昔よく、酒の肴に遊んだ。

黒いビールのコースターがテーブルにあったので。
じゃ、私はこれは「黒」だと断言する派、相手は「黒ではない」と断言する派ね、って前提を置いてディベートごっこした。

大抵、私は負けたw

上記のテーマも実際に遊んだテーマだが圧倒的有利な私のはずが最終的に「うーん黒とは断言できないなー」と言いくるめられたw

オタクな遊びだな・・・w

ディスカッション

ディスカッションはまた違う。
これは、複数の人間の知を集めて最適化された決定をするのが目的だと思う。

勝敗はない。
日本人はよく「口論」に発展するが稚拙だ。
ディスカッションという言葉がない民族だったからだろうか・・・。

そして、ボキャブラリーには個人差がある、豊富な人間とそうでない人間、偏った人間など。
ボキャブラリーが豊富な人間に結論が傾くようなディスカッションはよくない。

その場では声がデカイ人間が勝つような環境を作ってはいけないのだ。
それでは、最適化されないし、ディスカッションの意味がない。

ボキャブラリーが豊富な人間はそうでない人間をフォローして知を引き出す努力を最大限にしテーマを最適解に導く事が大事だ。

ディベートとディスカッションの区別を理解してないとあべこべになる。

うまくそれが表現されてたの映画がある。
「十二人の怒れる男」「十二人の優しい日本人(リメイク)だ。

よく出来てた。

独り言カテゴリの最新記事